米沢貴光監督(関東第一)経歴プロフィール!高校時代を教訓にした指導法とは?

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関東第一野球部の米沢貴光監督
激戦区・東東京地区にあって、この11年間で、夏4回、春4回もチームを甲子園に導いている名将です。
前回出場した2015年の夏の甲子園では、オコエ瑠偉選手らを擁してベスト4に入っています。

プロフィール

米沢 貴光(よねざわ たかみつ)
生年月日:1975年8月17日
出身:東京都江戸川区
経歴:関東第一高校→中央大学→シダックス
現役時代のポジションは内野手と外野手。

現役時代

中学時代は江戸川南リトルシニアでプレー。
関東第一高校に進学します。
関東第一高校は、江戸川区にある学校ですので、米沢監督にとっては地元ですね。

米沢監督が入学してきたころは、ちょうど低迷していた時期で、当時監督をされていた小倉全由監督(現・日大三監督)が成績不振の責任を取って一時、辞任をされていました。
米沢監督が2年生の12月に小倉監督が復帰。
そこからメキメキと力をつけ、高校3年生の夏の東東京都大会では決勝まで進出しました。

決勝では高橋尚成投手(元・巨人、DeNA)のいた修徳高校と対戦。
1点リードされていた9回ツーアウト2塁、一打同点のチャンスに米沢監督に打席が回ってきます。
しかし、高橋投手の渾身の外角ストレートに手が出ず、見逃しの三振で試合終了。
米沢監督は一度も甲子園に出場することなく、高校野球を終えてしまいました。

米沢監督は今でもその試合のことを思い出すことがあり、
「サヨナラの場面に強かったけど、あの場面だけ打つイメージがわかなかった。あの時は冷静じゃなくて、考えられなかった。あそこで考えられるよう、練習で準備をしないと、だめなんだな」

その時の教訓から、関東第一では普段の練習から状況を細かく設定し、選手の対応能力を高めていくような練習を行っています。

高校の同期のチームメイトには山崎健投手(元広島、ロッテ)らがいました。

高校卒業後は、中央大学へ進学。
大学卒業後はシダックスで2年間プレーしました。
社会人2年目の1999年には、日本選手権で優勝を経験。
しかし、当時肩を痛めており、その年限りで現役引退しました。

指導者時代

翌2000年秋から母校・関東第一の監督に就任します。
就任後はなかなか甲子園まで手が届きませんでしたが、2008年の春に監督としてセンバツに初出場を果たしました。
この年は夏も甲子園に出場。

その後は、2010年夏、2012年センバツ、2014年センバツ、2015年夏、2016年センバツ、夏、2019年夏と甲子園に出場しています。

甲子園での最高成績は春は2012年のベスト4
夏もオコエ瑠偉選手のいた2015年のベスト4です。

また、2017年9月には高校日本代表コーチとして、カナダのサンダーベイで行われたU-18ワールドカップに参加されています。

指導方針

米沢監督は選手にかける言葉を大切にしている監督です。
監督になって間もない頃、高校時代の恩師・小倉監督から
「監督っていうのは選手に対する一言、フォローの言葉っていうのがとっても大切なんだぞ」
と教わりました。
その後、メンタルトレーニングの講習に参加することにした米沢監督は、「ペップトーク」というもの学び
「最後に送り出すための一言、これを選手は待っているんだ」
と小倉監督から聞いた言葉の重要性を改めて、再確認しました。

「ペップトーク」とはスポーツの試合前に監督やコーチが 選手を励ますために行っている短い激励のスピーチのことです。
「Pep(ペップ)」は英語で、元気・活気・活力という意味があります。

主な教え子

中村 祐太

投手。広島東洋カープ。2013年 ドラフト5位。

山下 幸輝

内野手。横浜DeNAベイスターズ。2014年 ドラフト5位。

オコエ 瑠偉

外野手。東北楽天ゴールデンイーグルス。2015年 ドラフト1位。

石橋 康太

捕手。中日ドラゴンズ。2018年 ドラフト4位。

まとめ

これまで春と夏に甲子園ベスト4を経験している米沢監督。
あとは日本一だけですね。

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