大角健二監督(報徳学園)は野球を辞めようとしていた?経歴についても!

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兵庫県の強豪・報徳学園の大角健二監督
春夏通じて18回も甲子園に出場した名将・永田裕治前監督の後を受け、2017年から監督に就任しました。
就任2年目の2018年には、早くも夏の甲子園に出場し、ベスト8に入っています。

プロフィール

名前:大角 健二(おおすみ けんじ)
生年月日:1980年5月30日
出身:兵庫県川西市
経歴:報徳学園→立命館大学

現役時代

中学時代、大角監督は「兵庫川西ヤング」に所属。
ピッチャーやキャッチャーとして活躍していました。
高校進学の際には当時、強かった育英高校神戸弘陵学園への進学を希望していましたが、野球経験のある父に勧められ、泣く泣く報徳学園に入学。
ところが、いざ入ってみるとチームは2年生の春と夏3年生の春夏と4度も甲子園に出場しました。
「もう親の言うことは聞かなあかんな」
と思ったそうです。

3年次には主将兼キャッチャーとしてチームを引っ張りました。
3年春のセンバツでは初戦で松坂大輔投手のいた横浜高校と対戦。
松坂投手相手に大角監督は4打数無安打に抑えられ、チームは2対6で敗れました。
3年夏の甲子園では初戦で富山商業と対戦し、4対8で敗戦。

高校の同期のチームメイトには鞘師智也さん(元・広島)、光原逸裕さん(元・オリックス、ロッテ)、1年下に南竜介さん(元・横浜、ロッテ)、森山周さん(元・オリックス、ロッテ)など錚々たるメンバーがいました。
この中でキャプテンを務めていた大角監督は大変だったでしょうね。
ちなみに鞘師さんは現在広島のスカウトを務めていて、小園海斗選手(報徳学園→広島)の担当スカウトでした。

高校卒業後は、立命館大学に進学。
大学では1年生からキャッチャーとして試合に出場しました。
しかし、右肘を痛め1年生の8月と2年生の2月に手術。
満足に球を投げられなくなったため4年生では早めに引退するつもりでしたが、統率力を買われて、高校時代に続いて主将を任されることになります。
ただ、思うようにプレーできないため
「そこからは野球がストレスでしかなかった」
とのこと。

指導者時代

大学の野球部引退後は、野球にはもう関わらないと決めていた大角監督でしたが、報徳学園の野球部長だった竹村洋一さんの葬儀に出席した時に、永田前監督から
「指導者にならへんか」
と誘いを受けます。
悩み抜いた末、
「竹村先生の抜けた穴を埋めれば、先生への恩返しになる」
と考え、指導者の道を歩むことを決めました。

その後、2003年から報徳学園のコーチ、2013年から野球部部長を務め、2017年春から永田前監督の後を受け、監督に就任しました。
就任1年目こそは、甲子園出場は逃しましたが、2年目の2018年夏に小園海斗選手を擁して、8年ぶりの夏の甲子園出場を達成!
甲子園でもベスト8に入っています。

指導方針

大角監督は近年では珍しいほど厳しい監督です。
ルールを破った選手がいれば、練習中でも全員を集めて怒鳴り、なぜ怒られたか、どうするべきか、を考えさせます。
もちろん、これは選手のことを思ってのことで、
OBの小園選手は
「監督からは野球だけではなく、野球以外のことをたくさん学ばせてもらった」
と感謝を口にしています。

また「勝つためには、何が大切か」ということを、既存の常識にとらわれずに考えている監督で、基本第一の高校野球ではこれまであまり見られなかった逆シングルジャンピングスローといった大胆なプレーを選手たちに推奨しています。
これらは
「体の使い方や流れ、送球を見れば明らかにジャンピングスローの方が速い」
「正面に入るのが難しい打球にも強引に正面にいこうとして、ボールを落としてもOKなのか」
など理論的に考えた末にたどり着いた答えでした。

主な教え子

小園 海斗(こぞの かいと)

広島東洋カープ。内野手。2018年ドラフト1位。

まとめ

大角監督はまだ監督になって日が浅いため実績は少ないです。
しかし、将来は永田前監督のように名将と呼ばれるようになると思います。
今後の活躍が楽しみですね。

U-18日本代表の監督を務めている永田裕治監督。 2017年までは母校・報徳学園を率いて、夏7回、春11回も甲子園出場に果たしています。 ...

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