黒澤孟朗(国士舘)は金沢出身の強打者!ボンズ打法に注目!名前の読みは?

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国士舘高校の内野手・黒澤孟朗選手。
一年生から4番を打つ左の強打者です。
名前の「孟朗」「たろう」読みます。

2年春のセンバツに出場した時は「ボンズ打法」と呼ばれる低く構えた独特のバッティングフォームで話題になりました。
試合ではノーヒットでしたが、実はその時、黒澤選手は怪我明けで、本来の調子ではなかったんですね。


そんな黒澤選手ですが、2年秋の東京都大会で優勝しており、再び甲子園に帰ってきます。
今度は黒澤選手の持ち味である豪快なバッティングを見せてほしいですね。

プロフィール

名前:黒澤 孟朗(くろさわ たろう)
出身:石川県金沢市
身長:167cm
体重:70kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:一塁手
経歴:金沢市立扇台小学校→金沢市立高尾台中学校→国士舘高校

小中学時代

黒澤選手は小学生から扇台クラブで野球を始めました。

中学時代、金沢ヤングブルーウェーブに所属。
この頃からすでに現在のバッティングフォームで、活躍していました。

金沢ヤングBW 黒澤選手

黒澤選手が通っていた高尾台中学校のOBにはロッテ、ヤクルトで活躍した大松尚逸選手がいます。
でも、”大松2世”とは呼ばれたことはないみたいですね。
今後も無さそうです。

高校時代

中学卒業後は東京にある国士舘高校に進学。
高校では入学直後の1年春からベンチ入り。
1年秋からファーストのレギュラーを獲得します。
打順も4番を任され、1年秋の東京都大会では、31打数10安打7打点、打率.323の活躍で優勝を達成!
翌春のセンバツ出場を決めます。

柔道の寒稽古で骨折

黒澤選手は翌年の1月に学校行事である柔道の寒稽古中に、左足首脱臼骨折をしてしまいます。
靱帯損傷で全治3カ月と診断され、入院。
センバツ出場は絶望的と思われました。
しかし、黒澤選手は、2度の手術に加え、車椅子で素振りをするなど懸命のリハビリを重ねます。

病院食に加え、父親が毎日持参してきた米2合分のおにぎりを食べて体重をキープ。車椅子に移ってバットを振り、ベッドでは守備のフォーメーションや野球に向き合う姿勢を学ぼうと、本を読みあさった。

YAHOO!ニュース

その甲斐はあって、驚異的な回復力をみせ、センバツの直前に復帰!

明石商業とのセンバツ一回戦では4番・ファーストで出場します。
黒澤選手は3打数0安打1四球の成績で、チームも1対7で敗れました。
明石商業の中森俊介投手2020年のドラフト1位候補にも名前が挙がる好投手でしたから、怪我明けの黒澤選手にはちょっと相手が悪かったですね。
本来の調子だったら、また違った結果だったかもしれません。

2年夏の西東京都大会では3回戦(初戦)で都立日野4対5で敗れ、まさかの初戦敗退。

それでも2年秋の東京都大会では、決勝で帝京高校を破って優勝!
2年連続のセンバツ出場を確実なものとしています。

高校の同期のチームメイトには中西健登投手鎌田州真選手らがいます。

プレースタイル

黒澤選手は身長167cmと小柄ながらも、勝負強いバッティングが魅力の強打者です。
国士舘永田昌弘監督からも
「チーム屈指の長打力があり、あいつに回せば何とかなる」
と高い信頼を得ています。

【ホームラン】国士舘 黒澤選手!「ボンズ打法」|新2年生で4番・小柄なスラッガー

ボンズ打法

黒澤選手の代名詞ともいえる「ボンズ打法」中学2年の秋に、憧れの西武・森友哉選手を参考に独自に編み出しました。

「中学2年の時に、森友哉さん(西武)のように身長がなくても飛ばせるようになりたいと思って、重心を低くするところから始めました」

あまりにも個性的であるため、指導者としては矯正したくなるものですが、
永田監督は
「フォームの修正を助言したい時もあるが、強く振れているので、今のままで打線を引っ張ってほしい」
と語っていますし、
黒澤選手も
「結果を出せば認めてもらえる」
とコメントを残しています。

そのうち壁にぶつかるときも来るかもしれませんが、それまではせっかく自分で考えて身に付けたフォームですので、それまでは今のままで行ってほしいですね。

まとめ

国士舘高校は2019年の秋の東京都大会で優勝しており、2年連続のセンバツ出場を確実なものとしています。
とりあえず黒澤選手には今年の冬は柔道の授業は見学だけにしておいてほしいですね。
そして2020年のセンバツでは万全の状態の黒澤選手を見てみたいです。

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